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堺市政への再挑戦と私の思い

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昨日、堺市政に再挑戦することを表明し、記者会見を行いました。(録画をUPされている方がおられましたので掲載させていただきます)

私は一昨年前の堺市長選を持って政治家を引退し、この間お声がけいただいた様々な政治関連の会合や講演依頼など全てお断りしてきました。

一方で政治家ではない立場でも何とか自分が住む大好きな堺を前に進めることはできないかと様々な分野の方に話を聞き、情報収集をし、気になるスポットを訪れるなど頭の中を整理する機会にも恵まれました。

気持ちを新たにして、堺のために私が持てる力を注ぎます。

「政治家を辞めたのに何故そこまで堺にこだわるのか?」

前回の市長選後に多くの人から聞かれました。もう堺じゃなくてもいいやん、新しい人生をもっと魅力的な場所で過ごしたら、とも。

でも私は堺にこだわります。この街で一生を過ごし、骨を埋めるつもりです。

これには私の生い立ちが深く関係しています。

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前市長がよく口にしていた台詞、「堺生まれ、堺育ち」。私もこんな風に言えたらなぁと羨ましく思っていたこともありました。

私の家庭はいわゆる転勤族でした。生まれてから7歳までは兵庫県の芦屋市。芦屋というブランドイメージだけで「永藤はボンボン」とよく勘違いされますが全くそんなことは無くてごく普通の会社員の父と母、住まいもJR線路沿いのアパートです。

8歳から10歳は堺の泉北ニュータウンで過ごし、高倉台小学校に通いました。当時のニュータウンは若いファミリーが多くて本当に活気づいていたんですよね。学校が終わると毎日近所の子供たちと日が暮れるまで遊んでいたことが懐かしいです。

阪神大震災が大きな転機に

そして11歳からは兵庫県の加古川市。小学校だけで3つに渡り、その度に大きな環境の変化に悩みました。将来子供が出来たらこんな思いはさせたくないな、といつしか思うように。中学校と高校も加古川で過ごし、迎えた大学入試センター試験の翌日。あの阪神大震災が起こりました。

センター試験の会場となった神戸市の高校は半壊、JRも不通となり2月に受験を予定していた関西の大学までも「片道6時間は見ておいたほうがいい」とのことで移動時間を考えると負担も大きく、既に受験料を納めていた私立大学は殆ど試験を受けることはありませんでした。

そんな折、当時の担任の先生から「大阪府立大学ならセンター試験だけで推薦を受けられる」と助言。幼少時に堺に住んだことがあり愛着があったので、当時は想定もしていなかった府大への進学を決めます。

初めての一人暮らしは百舌鳥八幡。大学の授業を受けながら生活費を稼ぐために夕方は天丼屋、夜から明け方まではラーメン屋で働き、他にも色々なバイトを経験しました。それらを通じて今も心の支えとなっている方々と出会えたのは本当に貴重な出来事でした。

三度、堺へ

府大卒業後は大阪市内にあるコンピュータ会社に就職するため大阪市内に引越。中小企業を中心に約50社を担当して実際に客先で話を伺う中で大阪の景気の悪さを痛感する日々でした。その後起業するために退職して準備を進めている中で目に飛び込んできたのは当時「茶髪の弁護士」くらいしか印象に無かった橋下徹氏。

大阪の状況を打破してほしい!と橋下氏が初めて出馬した知事選挙に投票し、その後に氏が出演したテレビ番組での熱意や大阪府政に臨む姿勢を見るにつけ、大阪再生のために一緒に仕事がしたいという気持ちから大阪府議会議員を考えるようになりました。

「選挙に出るということは、その地に骨を埋める覚悟を持つということ。そうでなければ有権者に失礼ではないか。」これが私の持論です。一生暮らすのであれば小学校、大学時代と多感な時期を過ごして縁も愛着もある堺以外に無いという結論に至り、2010年1月にお世話になった方々がいて土地勘のある堺に戻ります。地元活動をする中で大阪維新の会が発足し、ボランティアで選挙活動を手伝い、「この党なら本当に大阪を立ち直らせることができる」と確信をもって立候補を決意しました。

縁を大切に、恩返しをする

転勤族だった家庭の事情でなかなか同じ場所に定住できなかった中でも、多くの思い出と気付きを与えてくれた堺。阪神大震災が起こり、進学に悩む中で道を開いてくれた堺の大阪府立大学。大学生だった自分を叱り、励まして成長させてくれた人たちが住む堺。これらの背景が無くてはあのタイミングで堺市堺区から大阪府議になることもなかったはずです。

大阪府議として仕事をする中で感じたのは「停滞から抜け出して成長へと舵を切った大阪」と「活気を取り戻せないでいる堺」の大きな差でした。多くの堺の経営者からは現状の堺への嘆きが寄せられます。そのような状況で「私にできるならば堺に恩返しをしたい」との思いを強くして、一昨年の堺市長選挙出馬に至りました。

堺出身では無いからこそ、見えることがある

前回の市長選は急転直下、ドタバタの中での活動でしたので私の思いを市民の皆さんにきちんとお伝えできなかったという反省があります。今回はさらに期間が短いのですが、先の反省と、一年半の期間が空いて様々な経験ができたことによって新たに感じる事柄も多くありました。

それは「堺生まれ堺育ち」では無くても、外の世界を経験した人間だからこそ、堺をもっと素晴らしい街にできる可能性があるということです。

堺市民の皆さんが感じている堺の限界は、実はそうではないかもしれません。内向きの思考では広がらないことも、大きな視野で考えると新たな解決策が導き出せる。これからも一生堺で暮らす者として、堺に愛情を注ぎ、街の発展に尽くしたいと思います。

『新しい堺を創る』

「新しい堺を創る」。昨日の記者会見ではあえてこのような表現をしました。しかし人口が減り続ける堺の現状で、思い切った対策を取らずに眺めているだけでは「新しい堺」どころか現状維持すらできません。「このままの堺」を続けるためだけにでも、堺市政は挑戦をしていかなくてはいけない。

私は「このままの堺」は最低条件として、子供たちに多くの選択肢を提供できて年を重ねても安心して希望を持って暮らしていくことのできる堺にしたい歴史・文化を大切に守り育てながら未来への道筋を示し、子や孫の世代にも自信をもって残すことのできる素晴らしい堺を市民の皆さんと創っていきたい

一人でも多くの堺市民の方に私の思いを届けられるように、限られた時間ではありますが訴え続けます。

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